長野市出身の作曲家、小山清茂(1914-2009)にまつわる資料や自筆譜の展示会が長野市芸術館で行われており(7月18日(日)まで)、レッスンでの長野滞在中、空き時間だった本日月曜日の午前中に見てきました。
私が小山清茂さんと言う作曲家の作品を知ったのは、中学生の頃、《吹奏楽のための「木挽歌」》という曲でした。管弦楽のために1957年に作曲され、1970年に吹奏楽のために書き改められた、小山清茂さんの代表作の1つです。
この曲を初めてCDで聴いた時、日本的な朗々としたフレーズ(九州の民謡をもとにしている)が、霧の立ち込める山の中、祭囃子、爽やかな朝、そしてフィナーレへと変奏曲のように移り変わり描かれる情景と、その美しい構成の中に、どこか土臭い匂いを感じ、さらにそれが音楽を魅力的にしているように感じたことを覚えています。
長野県更級郡信里村(現・長野市)で育った小山清茂さん。長野師範学校(現・信州大学教育学部)を卒業して長野県内の小学校で教員を勤めた後、20代半ばで上京し作曲を学び、第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)で《管弦楽のための「信濃囃子」》で第1位を受賞します。その後、管弦楽や室内楽、吹奏楽、声楽など様々な作品を残しますが、その作曲の根底に常に流れていたのは、犀川に沿った山間の村に響いていた、西洋音楽とは無縁の民謡や祭囃子だったのだろうと思います。
ただ、そんな経歴や、そもそも作曲家が長野市出身だったことを私がきちんと認識したのは、もう私が音大生になってから。2009年に95歳で亡くなられた後のことでした。今回の展示でも、長野市のアマチュアオーケストラ、オーケストラ・ソノーレによる小山清茂作品の演奏が紹介されていて、長野市内や長野県内での演奏機会が無いわけではありませんが、それでも長野出身の戦後日本を代表する作曲家の割には、地元で演奏される機会が少ないのは寂しいなあ、とは思ってしまいます。まだ没後12年。3年後には生誕100年。もっともっと、作品が紹介される機会が増えてほしいと思います。
今回の展示では、《管弦楽のための「木挽歌」》の自筆譜や、作曲家による作品控・演奏控のノートも展示されていました。作品控の開かれたページには、これも代表作のひとつオペラ《山椒太夫》をはじめ、管弦楽、室内楽など6曲の情報と、なんと作曲料のメモ書きなどまで…。曲の金額が公にされるなんて、作曲家は生前、思いもよらなかったと思いますが、とても興味深い資料でした。他のページを見せてもらうことはできないか聞いたものの、スタッフの方も展示品に触れてはいけないとのこと。残念。写真の撮影は可ということでした。
サクソフォーンのための作品は私の知る限り残していませんが(ただし、作品控えの厚さを考えても、作品数自体は一般に知られているものより多いのだろうと思う)、サクソフォーンを編成に含むたくさんの吹奏楽曲はもちろん、《管弦楽のための「木挽歌」》では、オーケストラの中にテナーサクソフォーンが用いられています。祭囃子のリズムの上で、力強くも朗々と歌うテナーサックスには、西洋音楽のサクソフォーンとはまた違った魅力あふれる土臭さがあり(プロコフィエフがオーケストレーションに用いたテナーサクソフォーンに通じるところがあるような気がしている)、いずれオーケストラの中で演奏する機会に巡り会いたいと思っている1曲です。
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