サクソフォンが誕生した日

アドルフ・サックスによるサクソフォンの発明

1846年の3月21日、サクソフォンの生みの親、楽器製作者のアドルフ・サックス(Antoine-Joseph “Adolphe” Sax,1814-1894)は、パリでサクソフォンの特許を申請しました。

サクソフォンという楽器は、歴史のあるクラシックで使われる楽器の中では比較的歴史の浅い楽器です。アドルフ・サックスがサクソフォンの特許を申請・取得した1846年という時代は、すでにモーツァルトが亡くなって55年、ベートーヴェンも没後19年と古典派の作曲家達はこの世を去り、ロマン派の作曲家、メンデルスゾーンも翌年1847年には亡くなるという時代でした。オーケストラで使われる楽器の大半がすでにこの世に登場して久しい中、サクソフォンは遅れて誕生したのです。

サクソフォンを発明したアドルフ・サックスは楽器製作者の父、シャルル=ジョセフ・サックス(Charles-Joseph Sax,1790-1865)の長男として、1814年、ベルギーに生まれました。戸籍上はアントワーヌ=ジョゼフ・サックスとなっていますが、アドルフ・サックスという名称を当時から使っています。父から楽器製作を学んだアドルフ・サックスは、サクソフォンの発明の他にも、当時はまだ楽器としての完成度の低かったバスクラリネットを現在とほぼ同じ形状へと設計し直し、運指の改善や音色の均一化、音程の向上、トリルやポルタメントなどを可能にしたことでも知られています。また、サクソルン属の金管楽器の発明など、様々な楽器の発明と近代化に大きく寄与しました。そんな様々な楽器の中でも、アドルフ・サックス自身の名前を冠したサクソフォン(Saxophone)は、彼の業績を現代まで伝えています。

ところで、ベルギーでユーロ導入前の1999年まで使われていた旧200ベルギーフラン紙幣には、アドルフ・サックスの肖像とサクソフォンがデザインされています。日本における野口英世や夏目漱石のような、ベルギーを代表する偉人の一人なのです。

サクソフォンの誕生した日はいつなのか

さて、そんな歴史の比較的浅いサクソフォンはいつ生まれたのか、という話になると、アドルフ・サックスがパリでサクソフォンの特許を申請した1846年3月21日だとよく言われます。ただ、これは発明日が正確には分からないための便宜的なもの。実際にはそれより前、作曲家のエクトル・ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz,1803-1869)が音楽論評を担当していた新聞『ジャーナル・デバ(Journal des Débats)』の1842年6月12日発行の中で、「アドルフ・サックス氏の楽器」としてサクソフォンを絶賛する記事をベルリオーズが書いています。この新聞の発行から180年近くが経つ現在、フランス国立図書館(BnF)の「Gallica」で見ることができます。

この新聞・号の3ページ目の下段に、ベルリオーズによるInstrumens de musique. -M. AD. Sax(アドルフ・サックス氏の楽器)という記事が掲載されています。

さらにフランス生まれのベルギーのリトグラファー・写真家で、ベルギー政府の産業・文化・芸術分野の役職に就いていたマルセリン・ジョバール(Jean-Baptiste-Ambroise-Marcellin Jobard,1792-1861)が残した『フランス産業、1839年の展示会の報告書』のアドルフ・サックスの製作したクラリネットについての項で引用されている新聞記事の中に「サクソフォン」という名前が登場しています。この報告書もGoogle Booksで無料で見ることが可能です。

さらには、アドルフ・サックスの父、シャルル=ジョゼフ・サックスは、週刊の音楽誌『la Belgique musicale』の1847年2月25日発行のインタビュー記事の中で、「アドルフ・サックスは1838年頃よりサクソフォンに関する試作・研究を始めていた」と語っています。

このように、ある日、サクソフォンという楽器が完成したのではなく、アドルフ・サックス自身が1838年に特許を取ったバスクラリネットの設計も活かしながら、発明と改良を繰り返しながら、今から180年ほど前、1840年頃に楽器としての生を受けた、と考えるのが自然でしょう。

サクソフォンのお披露目

人前にサクソフォンが最初にお披露目されたとされるのは、1841年8月に開かれたブリュッセルでの産業博覧会です。ここで初めてバスサクソフォンが披露されました。また、ベルリオーズがオーケストラと合唱のために1829年に作曲した《神聖な歌 Chant Sacré》作品2-6を、アドルフ・サックスが発明した6つの管楽器のためにベルリオーズ自身によって編曲した作品が、1844年2月3日、パリのエルツ劇場で演奏されました。この編曲による楽譜はすでに失われてしまい、私たちは現物を見ることはできませんが、この編曲ではバスサクソフォン(注1)が用いられ、人々の耳へと初めてサクソフォンの音が届けられました。さらにアドルフ・サックスの友人でもある音楽評論家で作曲家のジャン=ジョルジュ・カストネ(Jean-Georges Kastner,1810-1867)が作曲したオラトリオ《最後のユダ王 Le dérnier Roi de Juda》のオーケストラの中でも、低音域のC管のサクソフォンが用いられ、1844年12月1日のパリ音楽院のコンサートで演奏されています。なお、このカストネの《最後のユダ王》は、サクソフォンが初めてオーケストラの中に用いられた曲とされています。このカストネの自筆譜も、『ジャーナル・デバ』と同様に「Gallica」で閲覧することが可能です(第1部と第2部、それぞれのURLは、参考文献をご参照ください)。

この楽譜の真ん中辺り、V1(ヴァイオリン1st)とTrombones1-2-3(トロンボーン)のパートに挟まれて、Saxophone en ut.のパートがあります。声部は書かれておらず実音で書かれていますが、曲全体を見ると現代の楽器にするとE♭管のバリトンサクソフォンの音域で書かれていることが分かります。

…と、サクソフォンが生まれたとされる1846年3月21日より少なくとも5年以上前に、サクソフォンそのものは誕生し、1844年にはコンサートでも使用されています。しかし、最も分かりやすい日にちの目安となり、そして権利としてのお披露目にもなる「特許」の申請日という1846年3月21日が、サクソフォンの生まれた日と言われています。まさに、近代の楽器らしい日にちの決まり方、とも言えるでしょう。

特許の公示と、アドルフ・サックスのその後

1846年3月21日に特許が申請されたサクソフォンは同年6月22日に、アドルフ・サックスの特許として公示されました。

さらに、アドルフ・サックスはこの高性能な楽器を普及させるために、友人の作曲家に様々なサクソフォンのための作品の作曲を依頼します。こうした最初期のサクソフォンのための作品群には、有名な曲が多いわけではありませんが、J=B.サンジュレー(Jean-Baptiste Singelée,1812-1875)の《サクソフォン四重奏曲第1番》やJ.ドゥメルスマン(Jules Demersseman,1833-1866)の《創作主題による幻想曲》などは、現代でも演奏機会の多い作品です。こうした作品で、サクソフォンが発明された当初から、メロディックな音楽性と、技巧的なヴィルトゥオーゾを表現する能力の両面を兼ね備えていたことを垣間見ることができます。世界最高峰の音楽学校の一つ、パリ音楽院にもサクソフォン科が設立され、アドルフ・サックス自身が1857年から1870年まで初代教授を務めました(なお、アドルフ・サックスの退任後、1942年に巨匠、マルセル・ミュール(Marcel Mule,1901-2001)が2代目の教授に就任するまで、パリ音楽院のサクソフォン科は閉鎖されました)。

こうしてサクソフォンの発明はアドルフ・サックスの楽器製作者としての確固たる実績となりましたが、その陰でアドルフ・サックスはこの特許を羨む多くの同業者から権利侵害として訴えられたこともありました。その係争に関わる費用や、さらには彼自身の癌の発症なども重なり、1853年に最初の破産、さらにサクソフォンの特許期間が過ぎると同時に他社もサクソフォンの楽器製造に参入し、その競争の中で1873年と1877年にも再び・三度の破産。素晴らしい楽器を生み出したがために、多くの波乱も生みました。しかしその発明は、現代の音楽シーンを支えるサウンドとして無くてはならないものとなり、アドルフ・サックスはサクソフォンの生みの親として、そしてベルギーの偉人として、多くの人から讃えられ続けています。


(注1)アドルフ・サックスの楽器のためにベルリオーズが作曲・編曲した《聖なる歌》で使われたサクソフォンは、バスサクソフォンであるという説とバリトンサクソフォンであるという説の2種類があります。しかしながら、BnFの「Gallica」でも閲覧できる1844年にベルリオーズが書いた『管弦楽法 Grand traité d’instrumentation et d’orchestration modernes oeuvre』の10巻において紹介されているサクソフォンはB♭管のバスサクソフォンに合致する内容と音域(ただし、3オクターブちょっとの音域があり、いわゆるフラジオ音域を含んでいることが興味深い)であるため、同時期にベルリオーズが《聖なる歌》で用いた楽器も、バスサクソフォンの可能性が非常に高いと私は考えています。なお、ベルリオーズは1855年にこの『管弦楽法』を補筆し、この時にソプラニーノ、ソプラノ、アルト、テナー、バリトン、バスの6種類のサクソフォンが掲載されました。なお、現在よく知られているベルリオーズの『管弦楽法』は、1905年にリヒャルト・シュトラウスが補筆したものです。


〈参考文献〉
松沢増保『サクソフォンの歴史 : アドルフ・サックス(サクソフォンの誕生)からマルセル・ミュール(巨匠)まで サクソフォン写真集』東京、近衛音楽研究所、1986年
松沢増保「サクソフォン、その栄光の軌跡〔第1回〕アドルフ・サックス、セルマー家 楽器製作者と歴史的演奏家たちの物語」『NONAKA SAXOPHONE FRIENDS』2002年、第1巻、pp.15-18
Rorive, Jean-Pierre. Adolphe Sax: His life, his creative genius, his saxophones, a musical revolution, Mondorf-les-Bains, Editions Gérard Klopp, 2014
Berlioz, Hector. Instrumens de musique. -M. AD. Sax, Paris, Journal des Debats, 1842, June 12, p.3
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Berlioz, Hector. Grand traité d’instrumentation et d’orchestration modernes oeuvre 10e, Paris, Schonenberger, 1844
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Brevets 19e siècle, Paris, Institut national de la propriété industrielle
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Jobard, Jean-Baptiste-Ambroise-Marcellin. Industrie française: rapport sur l’exposition de 1839, Volume 2, Bruxelles, Méline Cans et Comp., 1842, p.154
https://books.google.co.jp/books?id=vDxEAAAAcAAJ&hl=ja&pg=PP9#v=onepage&q&f=false 2020年3月15日閲覧)
Kastner, Georges. Dernier roi de Juda : première partie
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k859844p 2020年3月16日閲覧)
Kastner, Georges. Dernier roi de Juda : 2.me partie
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b525042082 2020年3月16日閲覧)

※この記事は、2020年3月に以前のHuitのウェブサイト(旧ブログ)で公開した記事を、補筆・再構成しています。

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