エチュードのお話〈前編〉

サクソフォンの上達の道程に、欠かせないものの一つが「エチュード(練習曲)」です。最近では色々なエチュードがあり、私も生徒さんに合わせて色々なものを使っています。

そんなエチュードでも、サクソフォンを学ぶ人が上達するために、王道とも言えるエチュードがあります。音大受験などを視野に入れて、アカデミックなサクソフォンの演奏技術を学ぶ時にも、必須のエチュードです。

ラクール:50のやさしい漸進的な練習曲(全2巻)
クローゼ:25の日課練習
ブレマン:20の旋律的練習曲(全2巻)
ベルビギエ:18の技術練習、または練習曲
テルシャック:日課技術練習曲
フェルリング:48の練習曲

特に音大受験を見据えた時には、これらのエチュードを上から下に順番に(時に端折りながら)進めて行きます。そして音大に入った後、端折ったエチュードに取り組んだり、さらにこの先に続く「スースマンの30の大技術練習、または練習曲(全2巻)」「ベーム・テルシャック・フェルステノーの53の練習曲(全3巻)」などに取り組んでいく学生や演奏家もいます。

ここでは、そんなエチュードの中から、ラクール、クローゼ、ブレマンのエチュードをご紹介します。

ラクール:50のやさしい漸進的な練習曲

ギイ・ラクールについて

このエチュードを書いたギイ・ラクール(Guy Lacour,1932-2013)はフランスのサクソフォン奏者です。エーヌ県ソアソンに生まれ、10歳から作曲とサクソフォンを学び始めました。ヴェルサイユ音楽院でサクソフォンをマルセル・ジョッセ(Marcel Josse,1905-1996)に師事し一等賞で卒業、1950年にパリ音楽院に入学し、1952年にマルセル・ミュール(Marcel Mule,1901-2001)のサクソフォンのクラスを、1955年にフェルナン・ウーブラドゥ(Fernand Oubradous,1903-1986,バソン奏者)の室内楽のクラスを、いずれも一等賞で卒業しています。

サクソフォン奏者としてのラクールは、マルセル・ミュール四重奏団で1960年から1967年までテナーサクソフォン奏者を務めたことが有名です。ベルリン・フィルハーモニーなどのオーケストラへの客演、リドやムーラン・ルージュ、フォリー・ベルジェールなどの有名なキャバレーやミュージックホールへの出演、そしてソリストとして活躍をしました。ジェヌヴィリエ国立地方音楽院(École Nationale de Musique Edgar Varèse at Gennevilliers)で教鞭を取り、マント=ラ=ヴィルの音楽院の院長やサクソフォンメーカーのH.SELMERのアドヴァイザーとテスターも務めました。

作曲家として残している作品には、1963年のマルセル・ミュールに献呈された《8つの華麗な練習曲(8 Etudes brillantes)》を皮切りに、サクソフォンのための作品はもちろん、様々な楽器の室内楽作品や小規模なオーケストラの作品・編曲などがあります。そして1992年にサクソフォン奏者としての活動を引退し、作曲に専念するようになりました。
1972年に出版された《50のやさしい漸進的な練習曲(50 Etudes Faciles et Progressives)》は、調性の伴った音楽的で教育的な内容の練習曲によって構成されていますが、ラクールが作曲した作品はこうした調性的なものだけではなく、無調の音楽やセリーやモード技法を多く使用した作品も多く残しています。そうした作曲技法の大部分は独学で学んだようですが、ラクールのサクソフォンのための作品として忘れてはならない《サクソフォン四重奏曲》(1969)や、サクソフォンはもちろん、クラリネットなどの別バージョンも存在する《メシアンの移調の限られた旋法による28の練習曲(28 Etude Modes A Transposition Limitées d’Messiaen)》(1971)などの比較的知られた作品でも、ラクールの幅広い作曲技法を見ることができます。

ラクールが生涯に残したエチュードの数も多く、サクソフォンのために書かれたエチュード(練習曲集やそれに準じるもの)は、10にも上ります(Bruce Ronkin著、Londeix guide to the saxophone repertoire 1844-2012に記載されているもの)。サクソフォン奏者と作曲家の二つの側面から生み出されたエチュードを通じて、後に続く私たちの演奏を磨き続けています。

50のやさしい漸進的な練習曲

さて、そんなラクールが残したこのエチュードは、上巻が25曲、下巻も25曲の全50曲からなります。タイトルに「やさしい」と書かれている通り、1曲目は二分音符など白玉の音符が中心で、楽譜をなぞること自体は難しくはありません。
ただし!簡単な分だけフレーズや音色の美しさが丸裸になります。長い音や音の移り変わりで、真っ直ぐに凸凹にならない息と音で正しい音程で吹けているか、真ん中のドとレのような管の長さが大きく変わる音を均等な音質になるようにコントロールできる息が使えるか、音色が振り回されないようにしながら、pやfのダイナミクスの幅を表現できるか。気を配らないといけないポイントは山のようにあります。そうした基本を押さえたら、次に表現の技術を磨く世界へと進みます。

単旋律ながら一音一音に和声を感じることができるこのエチュード。大きなフレーズ(マクロな視点)はもちろん、その中にある細かなフレーズや和声、非和声音から和声音へと解決する一つ一つの音の動きとその表現(ミクロな視点)を養わなければなりません。

例えばエチュードの1番の冒頭の4小節間だけをとっても、

まず、大きな8小節のフレーズに含まれる、前半4小節のフレーズの山の中に、2小節単位の小さなフレーズが2個入っています。「2小節の小さなフレーズ①」はミからソの短三度の音程間で構成されているのに対し、「2小節の小さなフレーズ②」はレからラの完全五度の広い音程間でフレーズができていて、よりダイナミックになります。「2小節の小さなフレーズ②」にはpoco(わずかに)クレッシェンド・デクレッシェンドもついていて、この表現の幅を補強します。この「2小節の小さなフレーズ①」と「2小節の小さなフレーズ②」の上には「4小節のフレーズ」があり、さらにその上に「8小節の大きなフレーズ」があります。その各フレーズが全て活きるフレーズの波を作っていきます。

さらに和声も考えてみましょう。(とりあえず簡単に)前半2小節をハ長調の1の和音(ドミソ)、3小節目を属七の和音(ソシレファ)、4小節目を1の和音(ドミソ)とします。3小節目の属七の和音には、ドミソの1の三和音に戻りたい!という推進力が生まれます。
加えて2小節目の最初のファの音、3小節目の最後のラの音、4小節目の最初のラの音は非和声音であることが分かります。非和声音はその和声上のイレギュラーな音ですから緊張感があります。そして、2小節目の非和声音のファから和声音のミの音へ解決、4小節目の非和声音のラから和声音のソへ解決することで、その緊張感が「ほっ」と緩み、フレーズが収まります。

こうした、大中小のフレーズの山が重なって音楽に抑揚が生まれ、そこに和声的な音一つ一つの役割が加わって、生き生きとした音楽になっていくのです。

全ての曲に、こういうフレーズがあって、音一つ一つに役割があります。時にアナリーゼ(楽曲分析)をしながらも、楽譜を見るだけで直感的にどう吹くべきか音楽の意図を汲み取り演奏する技術を養うという、音楽家として第1歩を踏み出すための道標が、このラクールの50のエチュードです。

ちなみに、私が高校生の頃、初めて当時の師匠のところにレッスンに伺った時、このラクールを複数曲レッスンに持っていきました。その結果は、全てやり直し!やるべきことは「ただ音を並べる」ではなく「音楽を演奏する」ことなのだと実感したのもこの曲でした。

こういう内容の濃いエチュードの内容を消化するには、レッスンを受けることも必要不可欠なのですが、このエチュードを全てやり遂げることができた時、その人の演奏者としての表現力は驚くほど豊かなものになることと思います。

クローゼ:25の日課練習

イアサント・クローゼについて

ラクールと一緒に取り組むのが、イアサント・クローゼ(Hyacinthe Klosé,1808-1880)の書いた25の日課練習という、25曲からなるエチュードです。ギリシャのケルキラ島で生まれたクローゼは、クラリネット奏者としてパリ音楽院教授を務めました。また、サクソフォン奏者、作曲家としても活動していました。彼がパリ音楽院で教えた生徒の中には、やはりクラリネット奏者で、サクソフォン奏者、作曲家としても活躍したルイ・メイユール(Louis Mayeur,1837-1894)がおり、このメイユールは19世紀後半のサクソフォン音楽を牽引した音楽家です。また、多くの著名なクラリネット奏者を輩出しています。

クローゼは、楽器製作者のルイ=オーギュスト・ビュフェ(Louis-Auguste Buffet,1789-1864)と共に、クラリネットにベーム式のキーシステムを採用しました。ベーム式とはドイツの音楽家、テオバルト・ベーム(Theobald Böhm,1794-1881)が開発した、現在主流となっているフルートのための新しいキーシステムです。そのフルートの新しいキーシステムをクラリネットに採用したことによって、クラリネットの性能は飛躍的に向上しました。

このように演奏だけでなく、楽器の発展にも大きく寄与したクローゼですが、彼がパリ音楽院のクラリネットの教授を務めたのが1839年から1868年です。そしてアドルフ・サックスによってサクソフォンが1840年頃に発明され、アドルフ・サックスも1857年から1870年までパリ音楽院のサクソフォンの教授となります。クローゼがサクソフォンという新しい技術による楽器に興味を持ったことは必然だったのでしょう。クローゼ自身もサクソフォンを習得し、さらにパリ音楽院のアドルフ・サックスが教えるサクソフォンクラスの試験の課題曲も作曲しています。そしてサクソフォンのためのエチュードやメソッドも制作し、後世のサクソフォン奏者の技術の基礎を担うものとなりました。クローゼによるサクソフォンのためのエチュード(曲集のみ。メソッドを除く)は《25の日課練習(Vingt-cinq exercices journaliers pour le saxophone)》、《25のメカニズムの練習曲(Vingt-cinq études de mécanisme pour le saxophone)》、《15の歌う練習曲(Quinze Etudes chantantes pour le saxo phone)》があります。この3つのエチュードの出版年は1881年〜1883年、クローゼの死の直後で、BnF(フランス国立図書館)のクローゼの作品一覧では、《25の日課練習》と《15の歌う練習曲》に「遺作(Œuvre posthume)」と記載されています。

25の日課練習

ラクールの50のエチュードが、比較的穏やかなパッセージで構成された、音楽性と表現力の基礎部分を身につけるエチュードであるのに対して、このクローゼの《25の日課練習》は、細かなパッセージやそれに伴うアーティキュレーションで、いわゆるヴィルトゥオーゾ(名人芸)的な技巧を身につけるための第一歩です。25ある練習曲の中の第1番こそ、四分音符120で八部音符のスケールの動きが中心ですが、番号が進むにつれてだんだんとテンポが上がり、比較的速いテンポの中でリズムが多様になり、アーティキュレーションが増え、臨時記号が増えていきます。そうして難しく・忙しくなっていく中でも、音符に振り回されずに、正確に指を動かし(メトロノームが必須!)、息を安定させ、アーティキュレーションを一致させることを追求していくことが、このエチュードをモノにするために必要になります。さらに、臨時記号が増えても、ラクールと同様に全ての音符から和声を感じることができます。特に分散和音的な動きも多い内容から、しっかり和声を感じ取って、音楽的に演奏することも求められるエチュードです。

ブレマン:20の旋律的練習曲

ルイ・ブレマンについて

ルイ・ブレマン(Louis Blémant,1864-1934)は、フランスの作曲家で第145歩兵連隊の軍楽隊長などを務めた人物です。300を超す作編曲を行なっているようですが、その背景についてはあまり資料が残っていません。また、Alphose Leducから出版されているブレマンの楽譜には、ブレマンの名前と共に「パリ音楽院賞(Prix du Conservatoire de Paris)」「レジオンドヌール勲章シュヴァリエ(Chevalier de la Légion d’Honneur)」「公教育官(Officier de l’Instruction Publique)」「ヴァンセンヌ砲兵学校軍楽隊長(Chef de Musique de l’École d’Artillerie de Vincennes)」とも併記されています。

《20の旋律的練習曲(20 Etudes mélodiques pour tous les saxophones divisées en deux cahiers)》(1918)の他にも、サクソフォンのためのメソッドや楽曲を残しています。また、様々な楽器の室内楽曲も書いていますが、同時に、軍楽隊の編成の楽曲を多く作曲していることも特徴です。

20の旋律的練習曲

さて、ラクールの50のエチュードとクローゼの25の日課練習の片方、または両方が終わって取り組みたいのが、この《20の旋律的練習曲》です。上下巻に分かれていたラクールの50のエチュードも、クローゼの《25の日課練習》も、1冊あたり25曲でした。ブレマンの《20の旋律的練習曲》は上下巻に分かれていて1冊あたり10曲!つまり、1曲が長いのです。ラクールの50のエチュードは1曲が長くても1ページ半程度だったのに、ブレマンのこのエチュードは1曲あたり2〜4ページ。その間、ラクールとクローゼで培ったアンテナを張り巡らせながら、吹き続けます。技術力と表現力を磨きながら、持久力も養わなければいけません。さらに、1曲の中に様々な要素が詰め込まれていて、転調やリズム、アーティキュレーションの変化など、サクソフォンのコンサートで演奏する独奏曲同様の、総合的な実力を磨きます。

ただレッスンで困るのが、1曲通すだけで独奏曲並みの時間がかかること!ブレマンに限らないですが、しっかり練習をしてレッスンに臨まないと、時間が無くなります!

そしてこの先に取り組む、ベルビギエ、テルシャック、フェルリングのエチュードは、より技巧的に、そして音楽的内容がさらに濃密になっていきます。
それらのエチュードについてのお話は、またの機会に!

〈参考文献〉
Bruce Ronkin. Londeix guide to the saxophone repertoire 1844-2012, Glenmoore, PA, Roncorp, 2012
Gérard Billaudot Éditeur. Guy Lacour
https://www.billaudot.com/en/composer.php?p=Guy&n=Lacour 2020年12月11日閲覧)
Nancy Lynne Greenwood. Louis Mayeur : his life and works for saxophone based on opera themes, University of British Columbia, 2005
https://open.library.ubc.ca/cIRcle/collections/ubctheses/831/items/1.0092408 2020年12月12日閲覧)
BnF. Hyacinthe Klosé (1808-1880)
https://data.bnf.fr/fr/13994855/hyacinthe_klose/ 2020年12月12日閲覧)
BnF Gallica. Vingt-cinq études de mécanisme pour le saxophone Klosé, Hyacinthe (1808-1880). Compositeur
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k1169826v/ 2020年12月12日閲覧)
Bnf, Louis Blémant 
https://data.bnf.fr/fr/14840451/louis_blemant/ 2020年12月13日閲覧)

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